両頭の蛇「隆座大神」

[神仏]両頭の蛇「隆座大神」
 昨日、自転車で走っていて、東大阪市永和の永和公園の一角に石の祠が鎮座しているのが目に止まった。幟に「隆座大神」とあるが、「りゅうざ」と読むのか「たかくら」とでも読むのか?いずれにしても意味不明である。

 祠の屋根の正面に、宝珠に巻きついた両頭の蛇が彫刻されている。
 両頭の蛇と言えば、「醍醐寺鎮守青龍権現」が思い浮かぶが、ここのはそんな大層なものではないだろう。単なる”巳ーさん”だと思うが、左右の口が阿吽となっていて、右側の頭が口を開けているのは何となく不気味だ。

http://d.hatena.ne.jp/heisai/20060914
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それはそれとして、”両頭の蛇”にはおもしろい故事が二つもある。
それをメモしておこう。
1. 松平定信の随筆『花月草紙』による「両頭の蛇」。
 昔両頭の蛇がいたと聞くので、二匹の蛇を捕まえて、その二つの尾をしっかり結んで離れないようにし、庭へ放した。最初の内は互いに好き勝手な方向へ向かおうとし、その場から動くことができない。戯れに縁側から降りて驚かしてやると、とうとう絡みあってもんどりうってしまった。
 どうするだろうかと時々見ていたが、三日ほど経って二匹の蛇は落ち着き、心を合わせ尾の形を縄のようにして頭を二つ並べて行く樣は、結い合わせていない一匹だけの蛇より遥かに速かった。なるほど、人間の心も一つだからこそ自由に動かせるのだ。そうであるのに、昔から幕吏たちは誰かを妬んだり騙しあったりしている。国を司る幕吏たちが国家の事をないがしろにしてただ自らの保身ばかりを考えている有様を、両頭の蛇が互いに自分勝手に動き一つ所から動けない様子に喩えている。すなわち、政治家・役人は自分の利益より国家のことを優先し、互いに心を合わせるべきである。
晴耕雨読 http://suirennbasscl.blog12.fc2.com/blog-entry-101.html」より

 この話は今の与党と野党に聞かせてやりたい。

2.中国の戦国時代、楚の孫叔傲が子供の時、遊びに出て泣いて帰ってきた。母がわけを聞くと「私は両頭の蛇を見たので数日の中に死ぬでしょう。それが悲しい」といた。当時は、両頭の蛇を見た者は死ぬと信じられていた。孫の母が、それではその蛇はどこにいるのかと聞くと、「また他の人が見るといけないと思ったので、殺して土に埋めた」と答えた。
 そこで母は「それなら心配はいらない。お前は決して死にはしない。昔から陰徳あれば陽報ありというではないか。お前のやったことは立派な陰徳である。
 死ぬどころかきっと陽報があるでしょう」と慰めた。
 孫は後に国守になり、その名を聞いただけで国が治まった。誰にも知られないで、そっと善いおこないをしていれば必ず人の目に立つような善い報いが返ってくる。
「故事ことわざ辞典blog104.陰徳あれば陽報あり」より
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 上のブログを書いた後で、「双頭の」という言葉を思い出した。両頭ではなく双頭の方が良かったのかな?とちょっと考えた。
 しかし、「双頭の蛇」はネット上で気持ちの悪い写真が一杯出ている。

「カラパイアhttp://karapaia.livedoor.biz/archives/51687778.html
」より
つまり、双頭は二股ソケットみたいに首が二股に分岐した、いわば出来損ないの蛇であって、ここに書いた「両頭の蛇」とは根本的に違うものである、ということが分かった。めでたしめでたし。