青十字会館本館2階「講堂」の遺構

[猪飼野]青十字会館本館2階「講堂」の遺構
 昼頃、鶴橋本通商店街に面した、キョンチャル(警察)・アパートの入口の防塵シートの合わせ目から中を覗くと、玄関通路部分の建造物はきれいサッパリ解体されて消滅していた。(↓下の写真2枚=110531撮影)


六波羅氏の重要な指摘》 
 ところで問題は、アパート玄関通路上部につい最近まで存在したこの建造物が昭和十一年当時、鶴橋警察署本庁舎を大改造補強した青十字会館の「2階講堂」の遺構であるのか否か、である。
 午後、谷町にある「六波羅建築研究所」を訪問し六波羅雅一氏・中島克明氏と面会した。九州国際大学坂本悠一教授も同席された。
 色々な写真と『青十字会館梗概』の図面から六波羅氏があることを指摘された。

↑【写真Ⅰ】は通路上部建造物の西側壁面(=110521撮影)。その左半分に「逆への字形の屋根」がある。私には不可解なこの変な構造物が「青十字会館2階講堂」の遺構であることの重要な証明の根拠になろうとは・・・・・。(逆への字屋根の下方の二つの窓に注目!)

【航空写真↑】左側「ロの字形」の大きな建物はアパート。右側(A・B・C)が下図の「青十字会館」本館に該当する(その更に右側に商店街のアーケードが白い帯のように見える)。
 そして、AおよびCは35〜45年以前に古い建物を(切り取って)解体し新築している。旧建造物の遺構である可能性のあるのはBのみである。
※注1.AおよびCに切り取られる以前、Bは(A〜B〜C)と南北に長い一棟の大屋根であったと推測される(六波羅氏説)。
※注2.Bの北半分は**商店の3階、南半分はアパート玄関通路の2階に該当する(=詳細は省略)。
※注3.Aは昭和42年7月新築。Bは約35年前(昭和50年頃か)の建築という。

【↑青十字会館一階平面図】
文字は「食堂」「廣(広)間」「事務室」など。

【↑青十字会館二階平面図】
文字は「講堂兼クラブ室」「控室」「陸屋根」など。

↑【写真Ⅱ】手前は航空写真(A)の二階西側の窓。向こう側が航空写真(B)の西側壁面である。変な構造物が付随している。これが【写真Ⅰ】の”逆への字形の屋根”である。六波羅氏はこれが「講堂兼クラブ室」へ上がる階段部分と推定された。これで”逆への字形の屋根”の下にある段違いの二つの窓の意味がはじめて理解できる。
【6/3追記】オーナーの奥さん談によれば、確かに昭和47年当時、そこに上へ上がる木の階段があったが、後年改造して撤去した―とのこと。