下間憲行氏所藏の袈裟

[雑記]下間氏所藏の袈裟
 下間憲行氏所有の昭和三十年ころの行列写真では、先頭の祖父当人のみ袈裟に梵天の付いた「梵天袈裟」で(ちちくまされている幼児が下間氏ご本人。右側の美人が氏のお母さんとのこと)、後ろに従う人たちは「輪宝袈裟」を着している。
「輪宝袈裟」の人たちは当山派(=真言宗)所属の講の講員であろう。


※この写真は稚児行列の習俗といい、木造時代の「御幸橋」が写っていることといい、極めて貴重な映像である。『ニッポン猪飼野ものがたり』(猪飼野の歴史と文化を考える会・2011年・批評社刊)の表紙カバーにも使わせて頂いた。ただその表紙カバーでは写真の大部分が内側に折り返されていて、開かないと全部見えないのが残念である。
http://d.hatena.ne.jp/heisai/20110217
※※この稚児行列は一体、西に向っているのか、東に西に向っているのか。もし西に向っているとすれば、左端の少女の更に左側に御幸橋番所が位置していることになる。
 なお、この行列は地元のお寺や神社の祭礼ではなく、吉野金峯山寺蔵王堂の花供会式(花供懺法会)に参加後、帰還した折の様子ではないかと思う。吉野町役場観光商工課などにこの写真を見てもらえば何か分かるかも知れない。「講」は特定しにくいが、この地域なら龍王講社「千年組」ではなかろうか。
http://www.town.yoshino.nara.jp/gyouji_event/gyoji/eshiki/index.htm
http://d.hatena.ne.jp/heisai/20110211
下間氏の祖父のみが梵天を着けているのは、大峯修験「教師」というバッジ(下記↓)から推測するに、その有資格者だったためだろうか?。

袈裟に付いたバッジはうまく撮影できなかった。(梵天は失われている)

○バッジ(小) 裏面の陽鋳文字
 昭和二十九年 花供入峯之章 第四十四回


○バッジ(白菊に桐紋)裏面の陽鋳文字
 醍醐寺三宝院門跡 醍醐派近畿連合会
 昭和三十年 花供入峯之章 第四十五回


○バッジ(金菊に桐紋)裏面の陽鋳文字
 第四十五回 花供入峰記念章
 大本山三宝院門跡 大峯山法頭


○バッジ(小、紺色。吉野蔵王堂の桜紋)
 表面 教師 
 裏面 大峯修験


※桐紋は醍醐寺三宝院の寺紋のようだ。