縈見寺(総見寺)について

[神仏]縈見寺(総見寺)について

縈見寺(そうけんじ)は滋賀県蒲生郡安土町安土城跡にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は「遠景山」。
 市立中央図書館からの電話での回答によれば、
 フロイス「日本史」(東洋文庫版 第4巻(請求記号 0070075953))の(本文 P155)(注 P305)に次のような記述がある、とのこと。
 実見していないので、ちょっと不確実な部分があるが、回答の内容は下記の通り。

●本文P115「(信長は)神仏の祭祀・礼拝はどんなことでも軽んじ…」
●注(3)P304
「shinto Georg Schurhammer には、
 自分が神として崇められることを求めて、日本全国の独裁君主たることに満足せず、安土山上に【縈見】寺を創建したことを記している。」

 また、ウィキペディア本能寺の変」>「 動機と首謀者に関するその他の考察」 によれば、
フロイス「日本史」によると、信長は天正7年5月11日に安土城で自らを神とする儀式を行い、縈見寺で信長の誕生日を祝祭日と定め、参詣する者には現世利益がかなうとしたという。
 ただし、フロイスがこの「儀式」について初めて記したのは信長の死後であり、フロイス自身が「儀式」が行われたとされる当時に安土周辺にはいなかったこと、日本国内の一級史料ではこの「儀式」についてまったく言及されていないことなどから、谷口克広はフロイスの記述に信憑性はなく、信長が滅んだことを正当化するために記したもの[23]であるとの見解を示している[24]。
 [23]^ フロイスは「信長がかくの如く驕慢となり、世界の創造主また贖主である、デウスのみに帰すべきものを奪わんとしたため、安土山においてこの祭りを行った後19日を経て、その体は塵となり灰となって地に帰し、その霊魂は地獄に葬られた」と、信長が「儀式」の報いにより滅亡したと述べている。
 [24]^ 『信長の天下布武への道』(吉川弘文館
 
※ウェブ上では、信長が「盆山」という石を自身の神体として祀り、人々に礼拝を強要したような妙な記述が散見されるが、これは誤解のようだ。
玉座という字をボルトガル語に翻訳したとき、石の座と訳してしまったことにより、外国に誤った情報が伝わったため、信長自体が自分を神として崇拝するよう要求していたかのような誤解が、在日ポルトガル人の間で広がっていたようです。
また、盆山という石の飾り物があり、それを信長が大事にして家来に磨くよう言っていたことが、誤解を深める元となったようです】というのが正しい説のように思える。


 因みに、信長の戒名は【総見院殿大相国一品泰巌大居士】(総見院殿贈大相国一品泰巌尊儀)だそうだ。