日本書紀120年繰上げのカラクリ

[猪飼野]日本書紀120年繰上げのカラク

 王仁博士来朝の年代が『応神紀』では2運=120年繰り上げて記載されている。このことはすでに若い頃に何かで読んだ記憶があるが、今回改めて、比較的新しく書かれた次の本で読み返した。

倉西裕子『日本書紀の真実―紀年論を解く―』講談社選書メチエ・2003年

である。この人は、プロフィールによると1963年生まれ、日本女子大学文学部史学科卒業とか。頭が良くて美人とは―素晴らしい。それはともかくとして・・・

 こういうカラクリはほんとにややこしい。じゅうぶんには理解できないが、その結論だけ、一応メモっておく。ただし、大雑把な読み方なので私の下記の理解は多分まちがっているにちがいないが・・・。(『神功紀』の120年縮小問題は省略。『神功紀』には卑弥呼・壱与・応神の母后の三人、189年分の歴史を69年間の記事として配分している、という)

・  応神元年=西暦390年(〜394)
・禰 菟道は395・396年
・賛 仁徳元年=西暦397年(〜427)
・讃 履中は428〜432年
・珍 反正は433〜437年
・済 允恭は438〜454年
・ 安康は455・456年
・興 雄略元年は、西暦457年
(雄略5年=461年。倭王「武」は清寧。倉西説によれば倭王は七王となる)

※応神元年=390年〜雄略5年=461年までの72年間のできごとを、
日本書紀では120年引き伸ばして192年分の記事として配分している、という。
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↓【倉西先生のご学問所】
http://www3.plala.or.jp/kuranishigakumon/
↓【日本書紀紀年法入門】
http://www3.plala.or.jp/kuranishigakumon/history1.html