足代一学(あじろ・いちがく)の墓碑

[雑記]足代一学(あじろ・いちがく)の墓碑

 高安の坂上弘子さんの大変な労作である『神光寺墓地墓碑銘』、この本は以前に寄贈を受けているのはずなのだが、どこかへ紛れてすぐに見付からないので無理を言ってもう一度郵送して頂いた。
 そのメモ。(P78)
・立谿先生偈(偈=石偏)
(正面)・・・系は秦姓に出でて、足代氏世々、伊勢度会郡山田に貫す。諱は弘道、字は仲行、一学と称す。別号は立溪、扁其軒、曰く剛、また曰く進修齋。曽祖考は弘香・・・、祖考は弘倶・・・、考は弘英・・・、君は其の嫡長子也。元禄十六年(1703)癸未九月二十八日生。
(左面)宝暦十一年(1761)・・・郷に省りて、病に罹り、遂に起たず。兄(弘登)の子弘恭の宅において、代を棄つ。壽五十有九.・・・
(背面)・・・
(右面は銘文なし)
 この碑の正面は全面剥落のため、剥落した破片をつなぎ合わせ手拓した。欠落部分は、長南倉之助『含翠堂』(史蹟調査委員会報五・大阪府・大正七年)を参考にした。

となっている。

 なお、
・足代弘興(?―1574)
 伊勢山田の師職。豊受大神宮権禰宜足代家中興の祖。
足代弘訓(1784―1856)
 豊受大神宮権禰宜足代弘早の男。

 また、國學院大學の「国学関連人物データベース」『伊勢国』に
・足代 幸子‖アジロ コウコ(足代弘訓の娘・歌人
・足代 弘魚‖アジロ ヒロナ  外宮禰宜国学者
・足代 弘長‖アジロ ヒロナガ
    足代家の一族。弘訓入京12随員の1人。
・足代 弘直‖アジロ ヒロナオ
    足代弘訓の弟弘幸の孫。弘訓の養子。
の記載がある。http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db2/kokugaku/state07.html