播磨風土記の猪飼野探訪

[猪飼野]播磨風土記猪飼野探訪
 今年のお盆は、『播磨風土記』の「猪飼野」探訪と決めた。

 
 【播磨国風土記】賀毛郡の項に、
 ● 山田の里 猪飼野 右、山田と号(名付くる)は、人、山の際に居り。遂に由りて、里の名となす。 
 ● 猪養野(ゐかひの) 右、猪飼と号(名付くる)は、難波(なにわ)の高津(たかつ)の宮に御宇(あめのした しろしめしし)天皇仁徳天皇)のみ世、日向(ひむか)の肥人(くまびと)朝戸(あさべ)の君、天照大神の坐せる舟のうえに、猪(ゐ)を持ち参来て、進(たてまつり)き。飼ふべき所を、求ぎ申し仰ぎき。よりて、此処を賜りて、猪を放ち飼いき。故、猪飼野といふ。

という記述がある。
 「山田の里」というのは、現在の兵庫県小野市山田町付近のこととされている。加古川に注ぐ山田川に沿った田園地帯である。 「猪飼野」はかなり早い時期に消滅したものと思われ、現在もちろんこの地名は痕跡も残っていない。一般に、この「猪飼野」の遺称地は兵庫県小野市山田町に近い「草加野(そうかの。草荷野とも書く)台地」ということになっている。
 
 ここには、2004年の5月 塩田温泉の塩楽荘へ泊まりに行ったついでに、一度訪れている。(2002年1月、小野市の企画課市史編纂係にお願いして、小野市史・加東郡誌などのコピーを送って頂いて、現地の大体の見当を付けておいた)

 水田の背後の丘陵が「草加野台地」と思われるが、漠然としすぎていて、猪を放し飼いにしたという「猪飼野」は一体どの辺と考えられているのか、さっぱり見当が付かなかった。

 「山田の里」と書かれたこの時計台をカメラに収めたことだけが、わざわざここまで来て得た唯一の収穫みたいなものだった。
 ただし、この時計台は平成8年3月「山田町ほ場整備事業竣工記念」に建てられたもので、史跡顕彰のためのものではない。従って、後ろの説明文には「猪飼野」の記述はない。(「山田の里」は奈良時代の「播磨風土記」に記されている由緒あるところであり、・・・・・という文のあとは、この地区のほ場(圃場)整備事業(=耕地整理事業のようなものか?)に関する記述に終始し、なんとも味気ないものである)


 さて、今回は前回よりも計画的に、もう少し詳しく下調べをした。
「むくげ通信」129号に「播磨国風土記散歩15」=「「秦氏」の墳墓か 焼山古墳群(山田の里)」
を書かれている寺岡洋氏に「小野市立 好古館」の存在を教えて頂いたのは有難かった。寺岡氏には数年前、佐々木道雄氏の出版記念パーティで一度お会いしたことがあったし、私が佐々木氏の友人ということでもあるので、電話で割合気安くお尋ねすることができて助かった。
 「小野 好古館」のN氏の電話でのお話の中で、私にとって最大の収穫は、「山田町船付という所にある住吉神社は小野市垂井町にある住吉神社の元社だと言われている」との情報であった。垂井町住吉神社式内社賀茂郡六座の内の一座)とされているから、それの旧社地なら、ここが本来の式内社の場所ということになろう。
 住吉神と猪飼部とは直接的には結び付かないが、少し曙光が見えてきたような気もする。それにしても、こんな山の中に「船付」とは何と素晴らしい地名だろう‼。



※この住吉神社の所在地名は正確に言うと「船付」ではなく、同じ山田町だが、その東側 山田川の川上にあたる「大上(おおがみ)」と「船付」との中間位に位置する。『全国神社名鑑・下』(昭和52年 其刊行会)の巻末の一覧表に、
神本 住吉神社 小野市山田町橋形1102 (神本=神社本庁所属の意)
とあるのがこれに該当するのであろう。(山田町にはこの一社しか記載がない。他にも小祠はあるようだが、それらは正式な神社ではない)
※『角川日本地名大辞典』に「山田村には、川上より大上・船付・中山田・下山田などの垣内がある」とあるが、「など」ではなく、「の4つの」ときっちり書いてほしかった。


 続きはまた明日に書く。