広陵町あちこち

[猪飼野]広陵町あちこち

 泊り掛けで遊びに来ていた孫を、奈良県**町の親元まで送りがてら、かねてから一度訪ねてみたいと思っていた広陵町まで足を延ばすことにした。
 目的地は「馬見丘陵公園」と「百済寺」である。(写真は「馬見丘陵公園」内にある「史跡ナガレ山古墳」。神戸の五色塚古墳の略式のような感じ)猛烈な暑さでほとんど人がいない。早々に退散。
 次は、かぐや姫ゆかりとかいう「讃岐神社」。何も見るもの無し(と言うより、猛暑のせいで落ち着いて散策する気分にはとてもなれなかった)。一応、カンナビさんのサイトを参照↓
http://kamnavi.jp/kmlist.htmから「奈良県広陵町」の「讃岐神社」をクリックされたい。

 
 次、本命の「百済寺」。春日若宮神社の境内にお寺が居候している、という恰好。

 しかし、本来は百済寺の方が主で、神社はお寺の鎮守社だったのではなかろうか?。主客が逆転したのは、多分、明治の神仏分離の際だったのではないかと想像される。
 境内の端の方(池の裏側)の社務所らしき建物(写真:下)はお留守のようであった。その横手に公民館があったので声を掛けてちょっと訊ねてみた。住職というものはおらず、法事などの際は当麻寺の方から坊さんが来る、ついさっきまで坊さんが来ていた―とのことであった。それ以上の詳しいことはその人はご存知ないようで、他の人に聞きに入ってくれたが、「今、宴会中なので・・・」と言われたので謝して帰ろうとした。するとしばらくして、今度は別の人が急いで出てきて「これを読んどいて下さい」と言って立派な冊子を下さった。

百済大寺の縁起と百済邑の古蹟』昭和52年初版・平成9年三版。著者は「中北 武」百済寺一七五〇と住所が書かれているので、この地の郷土史家だろうか?。発行は「百済大字 広陵町」となっているが、町役場のことかどうかはよく分からない。
 巻頭の写真によると、境内の池は「梵字池」、社務所は「中の坊」となっている。
 梵字池は、他の寺院も含めて三ヵ所にあり(三霊池という)、
・当 百済寺・・・・・・・・・ウン字の池
・広瀬の与楽寺・・・・・・・・ア字の池
田原本町秦庄の秦楽寺・バ字の池
となっているそうだ。
 昔の写真だろうと思うが、「百済池」「黄金堂趾」というのも載っている。後者は、田圃の中に一段高くなった広い一画の畑地で樹木も生い茂っている。往古の百済大寺の金堂跡なのだろうか?。百済大寺の沿革は複雑でちょっと厄介だが、広陵町百済寺もかつて広大な規模を誇っていたであろうことは、この立派な重要文化財の三重塔(写真:上。鎌倉期)を一見しただけでも思い半ばに過ぎよう。
百済大寺のことは、ウィキペディア百済寺広陵町)↓を参照のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/百済寺_(広陵町)

 そのあと、ついでに「唐古・鍵遺跡」。渦巻き状の軒飾りがトレードマークの望楼を見る。魅力あるシンボル・タワーだが、唐古池の中に設けたコンクリートの基盤上に望楼が建っているだけで、吉野ヶ里のように付近一帯が公園化されているわけではなかった。考古学ミュージアム見学は割愛した。

 ※馬見丘陵公園や百済寺のある広陵町奈良県北葛城郡、唐古・鍵遺跡のある田原本町奈良県磯城郡に属し、曾我川(古名:百済川)を郡界としている。
 生野区猪飼野付近は古称 百済野。そこを流れる平野川と、広陵町曽我川とは「古名 百済川」という点で親縁関係にある。分類項目を[猪飼野]とした所以である。