超レアな表示板「東成区猪飼野町」

この写真は、「猪飼野公民館」の表札の代用です。

 

これが実際の住所地番表示として有効であった年代は、大正14年(1925)4月1日〜昭和7年(1932)3月31日までの正味7年間だけである。(以後、猪飼野東x丁目x番地となった)
当時、東成区役所はもとの鶴橋町役場(現・生野区桃谷2丁目・鶴橋小学校内)の場所にあった。(ただし、昭和5年7月、現在の東成区大今里西2丁目に移転)

猪飼野の地名変遷のあらまし」
一 仁徳天皇の時代・・・猪甘津
二〜六(略)
七 大正末期〜昭和七年・・・大阪市東成区猪飼野

 大正14年(1925)4月1日、大阪府東成郡鶴橋町は大阪市編入されて東成区の一部となり、猪飼野を含む5つの大字の総称たる鶴橋町の名称は消え、猪飼野町となりました。(『御幸森天神宮壹千六百年祭記念誌』より転載)


 すなわち、上掲の表示板は、猪飼野地域が大阪市編入された当初のもの。”超レア”と言ってよいでしょう。