友渕町・善源寺町〜源八橋


 
 昨日、都島区友渕町の大阪拘置所の近くに所用で出かけたついでに、善源寺楠公園にある「渡辺の綱 駒繋ぎの楠」に立ち寄った。落雷か何かで枯木になってしまっているのは惜しい限り。明治の神社合併でお宮も近くの都島神社に行ってしまっている模様。
 用事を済ませてからの帰り道、源八橋西詰の大川沿いの公園の中にある「日羅」の碑に立ち寄る。この辺りは日羅公初葬の地と伝えられるところ(元の位置は源八橋西詰交差点の少し西側)で、日羅暗殺事件は、敏達朝当時の日済政治関係の複雑さを暗示しているようだ。文世光事件をフト連想した。

 なお、”勝軍地蔵”というのは日羅公の化身とかいうことになっているようだ。上本町八丁目辺りに将軍地蔵(正しくは”勝軍”なのだが)の立派な石像があるが、確かそこにも日羅公云々と書いてあったように記憶する。
 どうして日羅が勝軍地蔵なのか?。その説は井沢長秀「広益俗説弁」(平凡社東洋文庫)に記述がある由。いつか開いて見よう。