松下電器の守護神の一つ、下天龍王のこと

heisai2006-07-02

 <今回のこのテーマに関しては、基本的な部分を、古倉弥太郎氏著『松下電器の守護神を尋ねて』に依拠している。>


 あの世界的な大企業である「松下電器産業株式会社」の敷地の中に、面白い祠(ほこら)が鎮座している。
 ”下天龍王社”という。
 国道1号線に面した、守口市の「本社」の方ではなく、国道を挟んでその南側にある「松下電子部品」(現社名=パナソニックエレクトロニックデバイス株式会社)の方に、である。(本社には”白龍大明神”が祀られているそうだ。そのことは、また後日述べる)
 京阪本線の「西三荘」(にしさんそう)という、なんか非常に田舎くさい名前の駅(守口市駅の次で、門真市駅の一つ手前)を降りてすぐの所に、「松下電器歴史館」と並んでこの会社がある。
 祠は、この会社の広大な敷地の南の端、歴史館の敷地と接する辺りにある。前の道路側からも柵越に見えるが、ガードマンに断って御宝前に参拝した。


 私は、これら松下電器守護神のことを、古倉弥太郎氏のご教示によって初めて知った。
 古倉氏は、かつて松下本社の労政部交通事故相談室に勤務のころ、会社の守護神の由来に興味を持ち、苦労して調査をされた。その成果が、上記の小冊子である。(氏には「松下幸之助起業の地」顕彰碑除幕式の日に始めてお目にかかった)
 その奥付には、「発行 昭和五十六年九月」、著者の氏名・住所・電話番号などのあとに、「<社内配布>非売品」と記されている。巻頭に<*発刊に寄せて*守護神の考>、巻末に<*後書き*守護神とわが社>と題する、取締役・遊津孟氏の推薦文が載せられていて、非公式とはいえ会社の準公認の冊子と考えて差し支えなかろう。【この古倉氏の調査の成果は、中山観好氏著『松下電器の守護神について』(平成十二年十月刊、社内配布・非売品)にほぼそのまま受け継がれている】


 さて、その内容を、調査の経緯や考証の過程の詳細は飛ばして、私なりの理解による結論の要点だけを記す。

① 下天竜王の経典は『仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経』(『仏説大弁財天経』の中の一つ)。赤字の読み=ウガヤ・トンドク

② 通常、この経典は”弁財天”の異名とされる”宇賀神王”(宇賀神将ともいう)の神徳を説いたもので、これは印度伝来のものではなく、中世の日本で生まれた和経である。

③ 松下電器が奉じている経典は、②とは異なり、”宇賀神王”の部分を”下天龍王”と記す。(注―すなわち、松下本は②の異本と解される)
④ この経典に説かれている下天龍王(②では宇賀神王)は、頭上の冠中に老翁面の白蛇を戴いている。(注―この、老人の顔をしてトグロを巻いた白蛇は、一般に”宇賀神”(うがじん)と呼ばれ、宇賀神は弁財天の一変化身と理解されている。

⑤ 従って、宇賀神王=宇賀神=弁財天=下天龍王 ということになろう。


 松下電器産業が、下天龍王や五色の龍神(後述)などを守護神として祀るようになった主な原因は、松下幸之助氏の参謀格であった加藤大観師(真言宗醍醐寺派の僧侶)の勧めによるものと言われている。
 果たして、古倉氏が、一般には聞き慣れないこの”下天龍王”のいわれを熱心に探求された結果、その貴重な糸口を京都醍醐寺の刊行物から得られた。(各地の弁天堂・弁天社を経巡った末に、中書島の長建寺に参詣し、住職に事情を話して依頼していた所、のちに資料が送られて来たという)その資料というのは、醍醐寺発行の『神変』(年11回発行*4・5月は合併号*、今年の7月号が1119号となるそうだ)のコピーであった。残念ながら、必要箇所3ページ分だけのコピーであるため、号数・その論考のタイトル共に不明である。ただ、筆者が醍醐寺の当時の教学部長・斉藤明道師であることだけが分かっている。
 この論考の趣旨は、辨財天と白蛇とが結び付いている俗信の典故を尋ねてみる―というもので、ここに前掲の『仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経』の経文が引用されている。これだけなら普通のことであるが、これが通常の②ではなく、その異本③である点が尋常ではない。これは古倉弥太郎氏ならずともビックリ仰天に十分に値する。

 ただ、この調査はこの辺で止まっている。(古倉氏が入手された経本は近年の手写本2本と、普通の版本②のみ。松下本が古本*コホン*であるか否かは不明)古倉氏が松下本の出所のように書かれている伊予市法昌寺の前住職にしても、醍醐寺の斉藤明道師にしても既に物故されていて、どうもこれ以上のことは当分分かりそうにない。
 斉藤明道師がこの異本を所持されていたかどうかは別としても、確かにその実物が存在し、それを繙かれたことは間違いなく、恐らく、醍醐寺派のどこかにひそかに伝わっているのであろう。
(②の入手は容易なので、経文の要旨についてはそれを参照されたい)