これが”三流史料”?

【重ねて御礼】
 当ブログの靖国論に対して、先日来、神職のB氏ならびに神友のK氏より再び有難いご助言のコメントやら励ましのメールを頂戴した。重ねて厚く御礼を申し上げる。
 B氏の援護射撃、
① 生存者を誤って合祀していたことが判明した場合、どう処理する?。(横井さん、小野田さん等)
② 昭和34年、北白川宮殿下合祀のケースでは、神座・御霊代ともに別に製作している。”祭神の座布団”は一つではなく二つである。
http://www.takata-courtrobe.co.jp/ins36.htm

(これなら分遷できるのか?)(平斎云、昭和殉難者もそのように神座・御霊代を別にしておいてくれれば、紛らわしい話にならなくてよかったのに―)

【最後に一言】
 異なる意見というものは中々噛み合わないもので、どうにもしようがない。論議というものは徒労に終わる場合が多い。これは経験上間違いがない。
 従って、意見の違う人を説得できるなどとは思わないが、同じ考えを持つ同志の方々との友情を深めることはできるだろう。


 靖国神社の現職の禰宜さんであるC氏のメールによれば、
「松平芳永宮司A級戦犯合祀を強行したのは、昭和天皇のご意向を無視したものであって、神道人として有るまじき言語道断の所業」と私が書いたことに対して、
「三流史料によって事実を捻じ曲げた”言語道断の所業”」と反駁されている。
 私は、昭和天皇に五十二年間側近として仕えた徳川義寛・元侍従長の著書『侍従長の遺言―昭和天皇との50年』の記述に基づいて書いた。
 侍従長の記述が信じられないとすれば、いったい何を信じればいいのか、その一流史料とやらを教えて頂きたい。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no50.htm(評伝 徳川義寛さんと“玉音放送”)

 ”徳川侍従長は君側の奸”だ、というのが靖国イデオロギーの”論理”なのであろう。


 終戦の時、昭和天皇のお言葉を録音した放送用の「玉音盤」を強奪しようとした青年将校たちの”論理”と全く同じである。彼らは自分たちの意見に合致しない考え方は一切認めようとせず、”君側の奸が天皇の明を曇らせている”と断定し、これを除くことが忠義だと信じて疑わない。
 この”恋闕”の忠義ほど独善的で(彼ら自身は独善的であるとは決して考えない)厄介な、危険なイデオロギーはほかにない()。

 松平芳永宮司A級戦犯の合祀を、真っ正面から、正々堂々と行なったのか?、昭和天皇から正式にお許しを頂いたのか?、心に一点の曇りもないのか?、正直に告白してほしいものだ。
 昭和五十年十一月以降、天皇のご親拝が途絶えている(→勅使が参拝されている、と言い逃れをしているが)ことの理由を、靖国神社さんには謙虚な気持ちで反省して頂きたい。(まぁ無理か)


 「闕」は宮城の門、転じて天皇(すめろぎ)を指す。”恋闕” は観念的に勝手に作り上げた理想の大御心(陛下はこのようにお考えのはずだ、との空想)に対して、恋焦がれるが如く一途に信仰する、このような心情のこと。この心情は純粋ではあるが、反乱将校と昭和天皇のお気持ちとが乖離していたように、所詮は片思いであるから、独り善がりなものである。
 僭越ながら、松平・元宮司さんは高潔な人柄のお方のようにお見受けする。しかし、昭和殉難者の合祀に関しては、国民感情よりも、白菊会(殉難者遺族の会)の人々の立場に傾斜し過ぎたようで、これは独善的と非難されても仕方がないのではなかろうか。
※「独善主義」=他人の利害や立場を顧みず、自分一人だけが正しいと考える主義(『広辞苑』)