「座」とは祭神の坐る座布団か?  

 きのうの続きを書く。
 靖国神社の現職の禰宜さんであるC氏の表現によれば、靖国の祭神は246万柱(平斎注、246万人のみたま)が一体化した「靖国大神」という一座です(単数ご祭神です)、とのことである。
 この主張を念のため、文献に徴してみよう。
 『靖国問題』(高橋哲哉著・2005年・ちくま新書)P74
大槻・靖国神社奉賛会会長「わたしは、専門家じゃないのでよくわからんが、A級戦犯の合祀を取り下げることはできないだろうか」
松平宮司「それは絶対できません。神社には「座」というものがある。神様の座る座布団のことです。靖国神社は他の神社と異なり「座」が一つしかない。二百五十万柱の霊が一つの同じ座布団に座っている。それを引き離すことはできません」
 
 この宮司のご託宣に対して、大槻会長は、
「そうですか。じゃあ、できないということだけ(注、後藤田さんに)伝えておきましょう」
とすなおに引き下がったそうである。(毎日新聞、一九八九年一〇月一日)

 このようにその神社を預かる神職からピシャリと言われてしまうと、門外漢には取り付く島がなく、「あぁ、そうですか」と引き下がるしかほかに、方法がなさそうなふんいきである。
 しかし、果たしてそうなのか?。
 神主のハッタリではないのか?、と疑ってみる姿勢がこの場面では大切である。

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 私の結論から言うと、松平宮司のこの論理ははっきりとまやかしである。この詭弁は、神道の歴史や祭式に疎い一般国民には容易には打ち破りにくい構造になっている。そのからくりの構造は以下の通りである。

> >①神社には「座」というものがある。神様の座る座布団のことです。

 これは「神座」のことを、分かりやすく「座布団」と表現しているのであろう。神座には御玉奈井(おんたまない=玉居)・御帳台(=みちょうだい。とばりを張った台)、その他、厨子形式・御宮形式・神輿形式など種々の様式があるようだ。靖国神社がどの形式なのかは知らないが本殿が神明造であるから、それに適した様式の神座が設けられているに違いない。

> >②靖国神社は他の神社と異なり「座」が一つしかない。二百五十万柱の霊が一つの同じ座布団に座っている。(だから)それを引き離すことはできません。

 これは事実に反する。
 他の神社はすべて祭神数と神座の数が一致する、と言っておられるように聞こえるが、複数の祭神を祀る神社で神座の数が単数という場合がないとは断定できない。多分 数多くの例があるであろう。
 だいたい、祭神(数える単位は「柱(はしら)」)の数に対して神座の数がどうあらねばならない、などという規定は明治以後の神社祭式(明治8年大正3年・昭和23年など時々に出された祭式規定や内務省令など)のどこにもないはずだ。(あったら教えてほしい)従って、私自身、むろん各神社個々の事例は知らないが、松平宮司もご存知ないはずである。それは各神社のしきたりや経済事情等によることであって、分祀が可能かどうか、ということと神座の数とは本来なんの関係もない事柄である。
 文献などで確かめるすべのない、しかも問題の本質とは無関係な、こんな事柄を表向きの理由に掲げて論点をすり替えるのが靖国神社の近頃のやり方のようだ。

 分祀ができるかできないかは、神座や御霊代(みたましろ=ご神体)が単数かどうか、によって決まるのではない。ご祭神の由緒によるのである。一例をあげよう。


 住吉大社の御祭神は四柱である。本殿が四棟あるから、当然 神座もご神体も4つあるに違いない。だからと言って、その一柱の神をよそへ遷すということができるだろうか?。答えは「否」に決まっている。この四柱の神々は1千年以上も前から「住吉の大神」として一つの神域に祀られてきたものである。余程の重大な理由がない限り、分け遷すなどということはありえない。
 では、坐摩神社の場合はどうだろう。ご祭神は五柱であるが、延喜の制でも明治の制でも、奉幣の座数)は「一座」である。だが、神座やご神体が5つであるか1つであるかは私は知らない。
 因みに、延喜の制において、宮中に祀られた坐摩の神(坐摩神社と同じ五柱の神)の場合、奉幣の座数は「五座」であった。こちらの方は御霊代は多分 5体であったろうと思う。
 しかし、大阪の坐摩神社にせよ、宮中の坐摩の神にせよ分け遷すことは、住吉大社と同じ理由によって、まず不可能であることには変わりがない。

 住吉大社坐摩神社の例で分かるように、分遷の可・不可は、神座の数が単数か複数かというような物理的な条件によるのではない。由緒の問題、信仰の問題である。
 それを松平宮司が「神座の数が単数」というところに理由をこじつけてくるから、問題がややこしくなるのである。

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 こんな末梢的な問題は早く終わりにしたいが、
「座数」という語について一応整理をしておく必要があるようだ。
上記で私は「奉幣の座数」という言葉を使った。
 「座数」の本来の意味はこの①「奉幣の座数」である。②「神座の数」をも座数というが、これは①から派生した後世的な使用法だろうと思う。
 なぜなら、大神神社・金鑚神社・諏訪大社生島足島神社のように山や樹叢・地面などの自然物を信仰の対象とする古社の場合、人工物である神座や御霊代などは本来ないのであるから、「神座の数」など数えようがないではないか。
 これを私の我見に過ぎないと誤解されるといけないのでその裏付けを明示しておこう。
 以下は、故・梅田義彦博士(神道辞典の編集兼監修者)から昔 頂いた回答のご書面の抜粋である。

一、 「座」は古訓「くら」で、物置き台のこと、「所(処)」は一区域のこと。この「座」「処」は、実は、中国(シナ)の祭祀用語(唐六典・大唐開元礼等)をそのまま借用したものです。班幣数の単位を示した語です
一、 奉幣の原則は一柱一座ですが、二柱以上でも一座しか奉らぬ場合もあります。(社殿・神体が一つか二つ以上かは、別の問題です
一、 官社以外でも、国司がその崇敬社に対して、官社に準じて奉幣したと思われるので、その際には座といったと考えられます。
一、 宗像の第三宮(ていさんぐう)は三女神を祭っていますが、神体は一つです。
一、 一社の何柱かの神に一座分の幣帛が奉られる場合、それらは相嘗に聞食すので、何れか一柱に奉り、他の柱には奉らないといふのではありません。
一、 (座数が複数の場合)一座分の幣帛を各一つの案(つくえ)に載せて班ったか、一つの長案に何座分かの幣帛を載せて班ったか、そこまでは分かりません。
一、 因みに、終戦までの制では、官国幣社の例祭の幣帛は一座毎に、府県社以下のそれは(何柱あっても)一社毎に奉られました。


 以上は、昭和45年当時、博士主宰の式内社顕彰会(のちに現在の㈶式内社顕彰会ができた。その前身)の一会員であった私が質問のお手紙を差し上げる度に、いつも丁寧にしかも迅速にお返事を下さった、その一文の抄録である。非常に多忙なお方であったにも拘わらず、私如き門外漢を蔑ろにされるということが一度もなかった。
博士のみたまに対し心から感謝の念を捧げるものである。



 続きはまた明日に。