2006-09-01から1ヶ月間の記事一覧

近時片々(2)

9・23(土・祭) 「血と骨の世界」3〜4htm作る。 9・24(日) 大阪護国神社慰霊祭。以前お世話になった高安の阪本さんと偶然、久しぶりにお目にかかる。おん年八十一歳になられたとか。お元気だが最近目が少しご不自由の由。 「猪飼野界隈」のトップページ(…

「猪飼野界隈」からブログへリンク

「猪飼野界隈」のボタンから「sinyoungの日記」へリンクを張った。無事うまく表示された。ささやかながら一歩だけ前進である。 夕方、Sさんと入れ替わりに、親友のIが偶々ふらっとやって来たのを奇貨として、貼り付けた写真などのリンクの張り方、アップロー…

「位高」と書いて「やごと」さん

今日午前中、大阪市史編纂所のM氏に面会に行った。 目下作業を進めて頂いている『大阪市史史料第**輯』の件で、追加してほしい史料の存在を思い出したので、それを見て貰うために出向いた次第である。話を終えてから、私が受け持つことになりそうな仕事の参…

「大坂二十二社」の事

http://info.ikaino.com/osaka22sya/index.htm 江戸時代、大坂の主立った神社を選んで朝廷奉幣の”二十二社”になぞらえ、「大坂(浪花)二十二社」と称して巡拝する風習があった。 その二十二社の選定は一様ではなく、巡拝する神社のリストは何種類かある。 …

①麻原死刑判決・②旧宮家復帰検討

昨日の大阪日日新聞に標記の記事が出た。 ①に関する社説、「”不完全燃焼”オウム裁判」に、 二十七人もの命を奪った一連の事件を裁く「教祖の裁判」が、このような形で終わってしまってよいのだろうか。同じような犯罪が起きないようにするための十分な教訓は…

「猪飼野探訪会」が発足

パソコンの先生に「猪飼野探訪会」のトップページと、「代表のプロフィール」「ようこそ私のホームページ!」を作成して貰った。[はてな]に「sinyoungの日記」ユーザー登録。今日、9月16日は記念すべき「猪飼野探訪会」HP開始日であり、また会の発足の日。

高津七家のこと

2006.3.31.高津正一郎氏より受贈。高津家墓地(圓成寺?)参詣。 自性院境内の墓地で高津木守の曾孫に当る人と偶然出会う。 上記のついでに、中央区・高津宮の宮座のお家のことを書き留めておく。 『高津家の歴史』(昭和50・1975年、高津彦次郎 著)という…

中濱の高津氏と四天王寺諸堂の鍵

中央区の高津宮の旧・宮座の家筋には高津七家と言う七軒のお家があった。 高津(こうづ、またはたかつ)などという名字は珍しくもないのかもしれないが、同じく中央区の森ノ宮・鵲森宮の祭司関係に「高津氏」の名前が出てくるとは意外だった。 一昨日のブロ…

青龍(せいりょう)権現の事

持物を整理していたら、以前M先生から頂いた『京古本や往来』第100号(「珍書稀覯画探求余聞」村井市郎 掲載号)が出てきた。整理が悪いために必要な時に必要なものがスッと出て来ないのが悩みである。そこで、折角これが姿を現した機会にメモをとっておく…

三韓坂・唐居殿などなど

天王寺区の”真田山の坂”を西へ登り切った交差点の西北角に有名な”円珠庵”があることは周知の通りである。しかし、この円珠庵から西へ下る坂、つまり上本町4丁目から東へ、円珠庵の方向に登ってくる上り坂を”三韓坂”と称するというのは、一般にはどの程度知…

友渕町・善源寺町〜源八橋

昨日、都島区友渕町の大阪拘置所の近くに所用で出かけたついでに、善源寺楠公園にある「渡辺の綱 駒繋ぎの楠」に立ち寄った。落雷か何かで枯木になってしまっているのは惜しい限り。明治の神社合併でお宮も近くの都島神社に行ってしまっている模様。 用事を…

松下幸之助著『記憶のまゝ』を入手

古書組合(新興会)で、松下幸之助著『記憶のまゝ』(S17.4発行・松下電器・社内版)を入手することができた。もし今日この雑本の束が私の目に止まらなかったら、(一旦は”引き”になっていたので)そのまま古紙回収業者の手に渡って製紙工場行きとなったか、…

文世光(ムン・セグァン)のいた町

昨年、ある人から「面白いから読んでみたら」と言って、梁石日『死は炎のごとく』(2001.1.1・毎日新聞社→2003.12.5『夏の炎』と改題・幻冬舎文庫)を貸して頂いた。しかし、結構分厚い本なので、その時はさほど身を入れて読もうという気分にならず、申し訳…

民団本部にて写真展「歴伝祭」 

きのうの大阪日々新聞に「在日韓国人の軌跡探る―あす北区で歴伝祭」の記事が出た。その記事によれば、8/29から3日間、生野区役所でプレイベントとして展示されたそうだが、知らなかった。PRが行き届いていないのは残念なことだ。 大成小のO教諭に通知し…